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  KICCC(NPO法人国際臨床保育研究所)が求める、これからの保育(幼児教育)への願い  
 

NPO法人国際臨床保育研究所所長、辻井正は、欧州を筆頭に世界各国の幼児教育の先駆者や研究者たちとの交流を深めてきました。

 

 
   
   
  第二次欧州大戦の末期、ヒトラーユーゲント(少年兵)として塹壕の中でソ連兵と向かい合っていた、と思い出を語るチネカ師が日本にやってきたのは、終戦から復興し始めた大阪でした。師からドイツ語を学び、そしてドイツでの障害児施設(ベーテル)勤務、帰国後から本格的な交流が始まり、障害児通園施設建設、おもちゃライブラリー開設、おもちゃの会社(株)ブラザー・ジョルダン社創設と、私の人生の大半は師と共に歩んできました。  
   
   
  私が初めてニキーチン家を訪れたのは、まだソビエット共産党独裁政府時代で、二度目には、ペレストロイカの情報開放時期と言う、大国が大きく変化する節目でした。ニキーチン家に招かれ、レイナ夫人との出会いも印象的でした。「ニキーチンの母親の学校(邦訳)」の日本語版権を頂いたのもこの時でした。日本でもニキーチン教育や積み木を語る人は多くいますが、私は、ニキーチン家の人々(長男アントンシャーや娘のアリヨシャー、それに二人の孫娘)と交流できたことを誉れに思っています。  
   
   
  ヘルッツカー先生は、私には雲の上の人でした。チューリッヒ湖の近くの自宅に夕食を招かれた時に「あなたとは奇跡的な出会いです。」と話されたように、先生の著書(豊かな遊びをつくるおもちゃ)を初めて日本語で出版したのがきっかけでした。日本にお招きして、数日の時間を共にしただけですが、深い思索的なお人柄と精神科医としての洞察力に敬意を抱くお一人です。  
   
   
  1989年11月10日、ドイツベルリン東西の壁が、市民の手で崩されていくテレビ画面をいまだに覚えています。翌年、私に思いがけない出会いが起こりました。1999年2月ドイツニュールンベルク国際おもちゃ展の広い会場を歩いている時、目に飛び込んできたのが子ども等身大のジュートアニマル(麻製)を展示している親子の姿です。驚いたのはジュートアニマルが目の前に並べられていることでした。私が開設したおもちゃライブラリーで、重い自閉症の子どものお気に入りのおもちゃが、等身大の動物でした。旧東ドイツのおもちゃ作家の作品だと言うことは聞いていたのですが、まったくの無知で交流も不可能な時代でした。ジュートアニマル製作者のレナーテ・ミュラーさんと息子のアクセル君が目の前にいたのです。  
   
   
  2005年の夏、ゾネベルグ(ドイツ)でミュラー女史の誘いで、画家、ガラス作品作家、紙細工作家、木工おもちゃ作家たちが集まって、日本の保育者グループにワークショップが開催されました。共産党一党独裁政権で育った、東ドイツ生まれの彼らの語る言葉や作品に現れる素朴さに触れ、これまで私が交流してきたドイツ人とは異なったことを学ばせてくれました。  
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  「ピラミーデ」導入10年を迎えましたが、Cito(旧オランダ王立教育評価機構)の職員だったカルク博士を紹介されたのは、アムステルダム駅前のホテルでした。博士が分厚い資料を手に、「ピラミーデ」を構築している心理学理論を熱心に語る迫力には圧倒されました。同席は、私とカルク博士を引き合わせた、デックさん(当時のモンテッソーリ教具製造会社ニーホイス社長)でした。彼は、教育心理学で博士号を修得後、幼児障害児施設で心理セラピストとしての経験を積みます。その後、Citoの幼児教育部門の責任者として、新しい幼児教育法の研究に携わりオランダ政府の依頼で、1994年に「ピラミーデ」を完成させました。  
   
   
  ラリーさんのお父さんは、旧チェコスロバキアからの移民で優れた大工職人でした。ラリーさんが南カリフォルニア大学の大学院の研究生の時に出会ったのが、「知能の構造理論」を完成したメアリー・メーカー教授でした。メーカー先生の依頼は、彼の先祖から受け継いでいる木工技術を、障害児が使うセラピー教具に生かすことでした。これがTAG TOY誕生の歴史です。